北アメリカの東西で普及した2種類のログハウスの歴史を紹介いたします。
The Appalachian vs. the Rockies Mountain Log Cabins – Ep1

アメリカには昔から数えきれない数のログハウスがあり、アメリカ人にとってログハウスは、単なる建造物のひとつではありません。ログハウスとは、新大陸アメリカの開拓時代を象徴するものであり、開拓者たちが厳しい自然環境の中で築き上げた生活を反映した歴史的な文化遺産でもあります。その為、ログハウスは自立心、冒険心、素朴さを象徴するものとして、多くのアメリカ人にとって愛着を持たれる存在となっています。
ヨーロッパ諸国から持ち込まれたログハウス技術
ロッキー山脈でよく見られる丸太を使った丸ログハウスとアパラチア山脈で普及した角ログハウスの紹介をする前に、まずは簡単に、ログハウスがどのようにしてアメリカで普及していったのかを説明したいと思います。
アメリカ合衆国の植民地時代(Colonial history of the United States)

アメリカ合衆国の植民地時代の歴史は、1607年にバージニア州ジェームズタウンに最初の恒久的なイギリス植民地が設立されたことから始まります。この時期、イギリス、スペイン、フランス、オランダなどのヨーロッパ諸国が北アメリカに植民地を建設し、土地の支配を競いました。17世紀から18世紀にかけて、イギリスは東海岸沿いに13の植民地を設立し、これらが後にアメリカ独立戦争を経て、アメリカ合衆国の基礎を築くこととなりました。
このヨーロッパ諸国間によって起きた植民地競争によって、アメリカ東海岸周辺に丸ログと角ログで建てたログハウスが広がっていきました。加工の手間の少ない丸ログは、主に身分の低い開拓者として移住してきた植民の住処などに使われていました。対して角ログは、原木を角材にする手間とログ同士が交差するノッチ部分の加工技術を要するため、要塞などの施設や指揮官の家、そして兵士の宿舎などに使われていました。
植民地が発展していくにつれて、住宅、店舗、民間施設などの建物にも角ログハウスが用いられるようになり、植民地の吸収や異文化交流などによって、角ログハウスが更に改良されて普及していき、現在のダブテイルログハウスの形となりました。この歴史的な事象が起きたのが、主にアパラチア山脈周辺であったため、これらのログハウスを総称してアパラチアンログハウスとも呼ばれるようになりました。
アパラチア山脈(Appalachian Mountains)とは


アパラチア山脈は、北アメリカの東部に位置する広大な山脈で、カナダのニューファンドランド・ラブラドール州から始まり、アメリカ合衆国のメイン州、バーモント州、ニューハンプシャー州、マサチューセッツ州、ニューヨーク州、ペンシルベニア州、バージニア州、ウェストバージニア州、ケンタッキー州、テネシー州、ノースカロライナ州、ジョージア州、アラバマ州に至る南北に約2,400キロメートルにわたって続いています。
この山脈は、北アメリカで最も古い山脈の一つで、約4億8000万年前に形成されたと考えられています。かつてアメリカ先住民が生活し、狩猟や農業を営んでいた場所でもあります。チェロキー族などの先住民がこの地域に定住し、豊かな自然資源を利用していました。18世紀から19世紀にかけて、ヨーロッパからの移民がこの地域に定住し始めました。彼らは、山岳地帯に角ログハウスを建て、農業や狩猟を行いました。特に、スコットランド系やアイルランド系の移民が多く、彼らの文化がアパラチア地域に強い影響を与えました。